共同幻想論

『共同幻想論』吉本 隆明 (著)

書評
執筆責任者:西住
戦後最大の思想の巨人といわれた吉本隆明。吉本には代表的な3つの著作がある。「言語にとって美とはなにか」「心的現象論」、そして今回取り上げる「共同幻想論」である。この中では「共同幻想論」が一番読まれた本で、吉本の最も有名な代表作と言っていい。吉本には文芸評論家の顔、詩人の顔、思想家の顔があるが、思想家としての面が大きく現れているのがこの三部作である。とはいえ、根本的に吉本の自己認識は詩人であり文芸評論家であるので、思想家として何かを語るときも、どこか詩的な晦渋さを感じさせる。共同幻想論の序文において、どんな難しいことでも、わかりやすく言い換えることには、上限がないように思える、と本人は述べているが、その願望とは逆に、共同幻想論の文章は、吉本の中でも格別にわかりづらい。わかりやすい本も数多くあるので、まるで人が変わったようなわかりづらさがある。しかし、詩的な晦渋さを感じさせる評論文というのは、日本の文壇(に限るかはわからないが)では、小林秀雄を筆頭に、珍しいものではないと言える。ある意味で正当な文章なのかもしれない。そろそろ共同幻想論の内容に入る。吉本の共同幻想論では幻想(現実ではない観念)の領域を、自己幻想(個人の観念)、対幻想(個と個の間に発生する観念)、共同幻想(社会に共通する観念)の三つに分けて分析する。普通は個人の幻想の集合体が共同幻想になると考えるところだが、吉本は共同幻想と自己幻想は対立するので、そうはならないと考える。その代わりに、本書では、対幻想が共同幻想へと変遷していく様子を提示したいようである。その意図はわかったとして、では対幻想とは何か、という話に当然なるのだが、これがどうもはっきりしない。あなたは共同幻想論を読んで、対幻想なる概念を明確に捉えることができるだろうか。試してみてほしい。
(765文字)

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