サル化する人間社会

『サル化する人間社会』山極寿一(著)

書評
執筆責任者:YY12
本書によると「言葉」は母親の子守唄がもととなっている。子守唄ときくとピンとこないが、いわば音楽的コミュニケーションがその最初だった。その昔、チンパンジーやゴリラが熱帯雨林に残ったのに対して、人類は豊かな森を離れより過酷な環境へと身を置いた。そこでは食物の運搬が必要となったことから、二足歩行と多産が発展する。多産で赤ん坊が多くなると目を離すことも多くなり、「そばにいること」を示すために音楽なメロディを発して安心感を与える。そして、そのような音声によるコミュニケーションは次第に大人同士にも敷衍されていき、今日の「言葉」としての形を整えた。言葉によって、人は圧倒的な情報伝達や独自の文化や技術を発展させたのは言うまでもない。ただ、言葉を通さずに活動を行ってきた歴史も長い。実際、人間は言葉を使わずとも、ある程度まで共同作業が出来るし、一致団結して目標に向かうことも可能である。例えばスポーツ。サッカーやラグビーは比較的大人数で行う競技だが、プレイ中に多少の声は交わせども言葉はほとんど交わさない。普段から互いに顔を合わせ性格や癖を熟知していれば、言葉はなくともコミュニケーションは十分に図れるのだ。このような10人~15人程度の集団は共同集団といわれ、ゴリラの集団も平均的にはこの規模と一致する。彼らは言葉こそ持たないが、お互いが顔を近づけ見つめ合うことによって実によくコミュニケーションを行う。「目は口ほどにものをいう」という諺があるように、コミュニケーションにおいて案外言葉というのは絶対的ではない。人間とゴリラは共通祖先から派生しており、本書では人間社会の特性をその前段階ともいえる「ゴリラ社会」をもとに紐解いていく。ゴリラ社会は言葉によるコミュニケーションがなかったり、人間的家族の原型が埋め込まれていたりと人間社会を相対化するうえで大変興味深いものとなっている。ゴリラに学ぶことは多い。
(798文字)

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基礎教養部

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