思い出袋

『思い出袋』鶴見俊輔(著)

書評
執筆責任者:あんまん
「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている。」本書の初めの方にあるこの文を最初に読んだ時、意味がわからなかった。どうして不良の部分を守り続けるのか。本書の題名は「思い出袋」。当時80を超えていた著者、鶴見俊輔が縦横に思い出したことを、そのまま掲載している。耄碌からか、後半には、同じことが何度も書かれている。しかし、老いを感じさせないほど記憶はどれも鮮明であり、明晰な思考が光っている。また、鶴見の文芸、文学の知識はとてつもない。おそらく私たちがYouTubeで動画を見るくらい本を読んでいる。鶴見が思い出すのはほとんど「ひと」に関することだ。人が何かをしていたこと、喋ったこと、一緒にしたこと、してくれたこと。とにかく「ひと」との想い出がいっぱいで、それでいて鮮やかである。鶴見は国家の考え方を自分の考えとすることに疑問を持ち続けた。だから、国よりも、同じ土地、同じ風景の中で暮らしてきた家族、友だちという「くに」を優先する。交換船での帰国や、ベトナム戦争のときの、ベ平連の運動の参加、これらは全て「くに」、「ひと」のためにした事である。では、なぜこれほどまで人情深い人間となったのか。その理由は、彼の不良少年時代にある。昭和初期の東京、生涯の友である永井道雄、一宮三郎との遊びの思い出、数々の人との思い出が不良少年時代にあったのだ。また鶴見は、小中学校から不良行為を繰り返し、中学を退学となってしまう。そこで父の計らいによってアメリカに留学をした。その多感な時期に彼はヤング一家の下宿人となった。しかし、そこでは家庭内で鶴見を除いて隠し事をしたりする事なく、家族の一員として受け入れる暖かい家庭があったのだ。この経験が「くに」のために生きると言う節操を形成したのだ。鶴見の言う不良少年とは「ひと」との関わりを通して得た「くに」という鮮やかな思い出のことであったのだ。
(800文字)

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基礎教養部

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