言葉とは何か

『言葉とは何か』丸山圭三郎(著)

書評
執筆責任者:イヤープラグさざなみ
この頃、本との向き合い方について思い悩んでいる。思えば前回も読書論についての本の書評を書いたのだった。あのときに考えていたのは本を手に取る以前の段階のこと、今私の目の前にあるのは、手に取った本をどうやって読むのか、すなわち本と向き合う態度についての課題である。正直、本をどう読むかなんぞを意識しなくても、ページを開き、文字列を目で追っていれば、読了することは可能である。ではなぜわざわざ意識しなくてもいいことを意識しようと、自分で自分に負荷をかけるようなことをするのか。それは、私が読書体験から多くのものを得たいからである。多くを得たいなら、相応の覚悟が必要である。もちろん新たな知識も習得したい。しかしそれ以上に、世界の新しい見方や自分とは異質な物の考え方に触れて、それに影響を受けたいという動機が強い。本はそれ一冊で閉じていない。書かれていることが全てではない。本の著者も私と同じように一人の人間で、特定の時代・地域の中で生活していたし、それゆえ綴る言葉はその環境の影響が色濃く反映されたものであろう。「自動的な読書」、すなわちただ文字列を追う読書では、そこに書かれた言葉を自分が普段使っている意味で理解することしかできない。これは当然のことである。しかし自分以外の人間が使う言葉の「射程」は、自分のそれとは全く異なる場合がある(しかし同じ言葉なのだから被っている部分ももちろんある)。未知なものを分かることはできるのか。もしそれが分かったのなら、それはそれを分けられた、すなわち分類できたということで、分類の基準はもとから自分の中にあったものである。ではそれは真に未知なものではなかったのだろうか。ところで本書はソシュールの入門本である。言葉を分析し、人によって異なる、しかし全く異なっているわけではない、そんな微妙で多様な世界が広がっていることを意識することが、本を読むための第一歩となろう。
(800文字)

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基礎教養部

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