学問としての教育学

『学問としての教育学』苫野一徳(著)

書評
執筆責任者:シト
今回私が紹介するのは『学問としての教育学』だ。教育学をお遊びだと感じる人は結構多いのではないだろうか。特に応用研究はそう感じやすいと思われる。実は、これは昔から言われていたことだ。教育学はよく二流学問だと揶揄されることが少なくない学問分野だ。ここでいう学問とは科学のことを指す。科学で重視されるのは再現性だ。これは教育学と非常に相性が悪い。なぜならば、教育学は、研究対象の性質上、再現性を担保することが難しいからだ。研究したクラスの生徒や授業についていくら詳しく分析したところで一回性のものであり、一般化することはできない。しかし、この本ではある条件を満たせば、教育学を科学的にすることが可能であり、役立つものに変えることができる(一般化することができる)と書いている。そのある条件とは、教育哲学の範囲にある。教育とは何か、そしてそれは、どうあればよいと言いうるのかを、教育学があくまでも底に敷き続けることだ。現在さまざまな分野が教育に手を出してきている。経済学は、経済学の視点から教育を見ていき、社会学は、社会学の視点から教育を見ている。~学の視点からとあるようにこれらが教育学の視点を自覚的に含んでいる保証もその必要性もない。それにもかかわらず役立つという理由で彼らは教育学を危機に陥らせている。この本は、その状況に陥っている教育学を救おうとしている。哲学部門、実証部門、実践部門の3つで構成され、1つ目では、教育の本質解明を可能にするものとし、2つ目では、その哲学を底にした科学的なものにし、3つ目では、役立つ理論や、具体的な方法をつくることを課題としている。この本全体で言っていることは、教育研究部の理念と同じだ。教育に興味がある人、教育研究部に興味がある人、指導者の人、特に学校の先生にぜひ読んでほしい。
(757文字)

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