吉本隆明初期詩集

『吉本隆明初期詩集』吉本隆明(著)

書評
執筆責任者:西住
吉本隆明という評論家がいた。大正24年生まれ、東京育ち、多感な学生時代を戦争と共に過ごした人物である。この界隈では珍しく理系人間で、東京工業大学電気化学科を卒業しており、社会人時代に書いた論文も残っている。最初は化学を生業として就職したようだが、労働組合の闘争に参加し、会社を追われ、物を書いて生きることになったらしい。しかし、単純な評論家ではない。文芸評論を行う。文学者の戦争責任を問う。政治運動に参加する。時事ネタを語る。宗教を考察する。社会問題に切り込んでいく。肩書きは無意味なほど、各方面に首を突っ込んでいる。その分批判の数は多く、論争を繰り返した人物としても知られている。著書をあげてみると、『共同幻想論』、『カール・マルクス』、『言語にとって美とはなにか』、『最後の親鸞』、『超恋愛論』、等々である。彼を何と呼ぶかは、各々の興味のうちにある。思想家と呼ばれることもあり、こちらの方がしっくり来る。思想に核心には大衆が据えられていて、吉本自身はそれを大衆の原像と呼んでいる。曖昧な言葉だが、私の解釈では、高級なことには目もくれず、日々の生活を生きるだけの人間という意味である。全くマイナスの意味ではない。吉本は知的階級よりも、大衆の原像に最高の価値を見出す思想を展開していた。彼の仕事の中心は文章を書くことである。難解な文章、論争の罵倒文、語り口調の文章まで、あらゆる文章を巧みに操った。その源泉にあるのは彼が青春時代を費やした「詩」である。「吉本隆明初期詩集」は詩人としての吉本を集めたものだ。内向的で、口下手で、うまく何かを伝えることが難しかった少年は、自然と詩の方向へ向かった。詩の中で繰り返し語ることは、絶望である。それは自分の暗さに対する絶望であり、無理解な世界に対する絶望だった。本書の「エリアンの手記と詩」における外界ー自己という明暗の対比は、言葉の鋭さと合わせて必見である。
(800字)

追加記事 -note-

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

ジェイラボ
基礎教養部

コメント

コメントする

目次