身銭を切れ

『身銭を切れ』ナシーム・ニコラス・タレブ(著)

書評
執筆責任者:西住
身銭を切れ。タレブという人の著作である。身銭を切る人間にこそ価値があるという話を手を替え品を替え話しているのだが、そこにはあまり興味がない。私が興味を抱いたのは、似非知識人(テキストをこねくり回して観念の世界に住んでいるような人)への異常なまでの嫌悪感である。本書によれば似非知識人は口だけ達者で、余計な口出しをするが、身銭は一切きらない人間の代表例となっており、これでもかというほど攻撃されている。なぜそこまで攻撃対象となるのか。それは彼らが身銭を切らず、観念の世界から降りてこないからである。身銭を切っていれば強制的に現実へ引き下ろされるわけだが、彼らは身銭を切ることをあらゆる手段で回避するため、観念の世界から降りてこない。それゆえに、現実の複雑さが理解できず、テキスト上の理想化された視点から、頓珍漢なことを言い出す。しかも現実を動かすような大きな発言力がある場合(このタイプは干渉屋とも呼ばれる)、とんでもない悪影響を与えることがある。そのような筋立てで、タレブはあらゆる方面から似非知識人に攻撃を加えている。さらにこのような知的バカは、複雑な現実においては長く生き残ってきたものが正しいことが理解できないと説く。合理性とは頭の中で作られるものではなく、現実に生き残るものであるということだ。なので似非知識人の話など聞くよりは、おばあちゃんの知恵の方がマシだとか。似非知識人は複雑な現実を理解しないのに、観念の世界では不要に複雑な議論を展開しており、そのほとんどは的外れで、長生きしてきたおばあちゃんに比べて真実を語っているはほとんどないとまで言う。本文を読むと、その手の似非知識人、知的バカ、観念系の人種への怒りが滲んでおり、個人的な怨恨すら入っているのではないかと思えるが、そこが読んでいて面白い。この本の本質は、巧みに多種多様な悪口を並べ立てているところにあるのかもしれない。
(796文字)

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基礎教養部

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