読書論

『読書論』小泉信三(著)

書評
執筆責任者:Takuma Kogawa
書物は私たちが生まれるはるか昔から存在している。国語の授業で習う古典でさえ、書物の歴史からしたらかなり新しいのではないだろうか。電子書籍なるものの登場により、紙では手に入らなくなった本も再度流通するようになったことは喜ばしいことである反面、良さを知る時間すらとれない本が増えていく。本を読むとしたら、何をどのように読むべきだろうか?筆者は、まず多くの本を読んで選球眼を養ってから良書を読めと主張するが、それは易しいことではない。忙しい世の中を生きる私たちのために筆者が考えた当面の処方箋は、古典的名著を読め、である。なるほど確かに意識しなければ古典的名著を読む機会はない。学問として専攻している人でさえ『君主論』や『資本論』を読まない人も多いだろう。古典的名著は言葉遣いやその無形の威厳から私たちにとっつきにくさを感じさせるが、現代まで生き残っているという事実は、その本が社会の基礎を成していることを示しているのかもしれない。基礎を成すものは、応用とは異なりすぐに実生活に変化や利益をもたらさない。すぐに役立つものを読みたいなら旅行ガイドやレシピ本を読めばよろしい。ご飯を食べることは栄養摂取というすぐに役立つ要素がある一方で、レシピ本は精神的栄養を与えてはくれない。精神的栄養を与えてくれる本は古典的名著に多く眠っている。古典的名著に書かれている内容をすべて覚えておく必要はない。忘れたときのために「紺珠」として残しておけば、いつでもサプリメントとして補給できるのである。紺珠は誰かが用意してくれるものではなく、自分で作らなければならず、そのためには読書が有用ということだ。本書から紺珠として何を残すのがよいかと問われると、「すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本である」が適切だろう。この言葉は不正確な引用をされながら生き残っている。本書が古典的名著たりうるのか、それは歴史が証明してくれる。
(798文字)

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