はじめてのスピノザ 自由へのエチカ

『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎(著)

書評
執筆責任者:YY12
人類の歴史をもう一度最初からやり直したとき、今と同じような世界に収束するだろうか。もしかしたら全く違うものになるかもしれない。そして、スピノザはそんなあり得たであろう「もう一つの世界」を提示する。彼は「思考のOS(オペレーティングシステム)」に作用するレベルで今とは異なる思想を持っていた。スピノザの代表的な考えといえば「神即自然」である。この場合の「自然」は緑豊かな動植物のことではなく人やモノも含めたあらゆることを言っている。また、神というのも宗教的なものではなく、宇宙のような存在を「神」としている。すなわち、この世の全てのものは「宇宙」のような存在たる神と同一視されるという。これは「神は無限なのだから外部が無い、よって全ては神の中にある」という発想からくるものだが、教会権力が圧倒的だった時代にこの自由な発想を持っていたということだけでもスピノザの異端さと先進性が分かる。以降もこの前提を踏まて倫理や自由に関する議論がなされる。関心のある部分は是非自分で触れてみて欲しいが、ここでは個人的に興味深ったスピノザの「真理観」を紹介したい。そこではデカルトとスピノザが対比される。デカルトは真理を外に置こうとするが、スピノザはそれを内在するものと考えた。つまり、スピノザにとって外にあって認識すれば真理を獲得できると思うのは間違いで自分の中で掘り起こすものとした。真理というのはいささか大袈裟ではあるが、普段考える素朴な事柄においてもこれは当てはまる。デカルト的思想が近代科学に連なるエビデンス中心主義的な真理観を引き出したと考えることは妥当と思われるが、スピノザは反対に真理の私的性格を強調した。今日ではエビデンスやデータなど科学主義的な要素をもつものが幅を利かせている。良くも悪くも「スピノザが選ばれなかった」もう一つの世界である。
(770文字)

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