暇と退屈の倫理学

『暇と退屈の倫理学』國分功一郎 (著)

書評
執筆責任者:蜆一朗
今からさかのぼること約1万年ほど前、気候変動により氷河期が明け、人類が定住生活を営むようになってからというもの、人類は環境適応に使っていた神経や能力を持て余すようになった。その能力をいかんなく発揮するべく、人類はそれまでの進化とは比べ物にならないスピードで文明や文化を発展させていったのだった。当時から1万年たった現代でもなお、我々は退屈さを飼い慣らすことができていない。それどころか、我々は物足りなさを刺激され続けても晴れることのない消費社会に組み込まれてしまっている。現世で過ごす時間の大半を占める労働や休暇がいくら充実したとしても、人間の欲望の肥大化はとどまることを知らない。やりたいことを見出せない人にとっても、とりあえずの生をやり過ごすだけの何かを見つけなければいけない。倫理学のテーマは他でもなく「人生をより善く生きる」ということであるが、そのためには、人生を貧相なものにしかねない最大の要因である「暇と退屈」について考えることが欠かせない。本書では、パスカル・ラッセル・ハイデガーといった知の巨人たちの議論を踏まえつつ、哲学や倫理学の領域に収まらずに様々な学問分野の知見に触れながら検討が進んでゆく。「俺は歌舞伎町が好きなフランス人の友人といっしょにあの界隈をぶらついていた」という書き出しから1冊全体を通して、その様子からは筆者によるビビッドな哲学行為とそれをそのまま伝えようとする気概が感じられるし、そして何より我々読者の哲学的な情動をも引き出すパワーがある。我々が何となくぼんやりと感じている「退屈だ」という気分について、過去からの蓄積を踏まえた議論の方向性を認識しつつ頭を働かせ続けることで “自分なりのわかり方・向き合い方” を見出していく。本書ではこのような極めて哲学的な営みが体験できる。自分とは何か、人生とは何かについて考えてみたいすべての人々に進められる一冊である。
(799文字)

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