ひとを〈嫌う〉ということ

『ひとを〈嫌う〉ということ』中島義道(著)

書評
執筆責任者:Yujin Yonehara
世の中には「あらゆる人を嫌いになってはいけない」と考える人がいるそうだ。著者はそれを、「嫌われたくない症候群」と呼んで矛先を向けている。「嫌い」という感情は「好き」という感情と同様、自然な感情である。つまり、自分は些細な理由で人を嫌いになることがあり、他人もまた些細な理由で自分を嫌いになることがある。それを理解していない人々が「症候群」に罹る。本書ではそうした「嫌い」の自然さを前提に、「ではなぜ嫌いになったのだろう?」と原因を追求することで、人生に「豊かさ」をもたせようとしている。「好き」一辺倒ではなく適度に「嫌い」と向き合うことで、他人との付き合い方を学んだり、理不尽な「嫌い」への抵抗力を身に付けることができるということだ。さて、私が本書で最も感銘を受けた点は、『第3章 「嫌い」の原因を探る』にある。どの感情にせよ、自分の感情を分析するのは難しい。原因を探るとき、自分を正当化する方向にバイアスがかかってしまうからである。「嫌い」の原因を適当に作ることで、「嫌い」というネガティブな感情を持たされた責任を、その適当な原因に被せることができる。著者はそのことを自覚した上で、「嫌い」になった真の原因は自己正当化プロセスの始まりにあると考えた。自己正当化プロセスを起こさせるものこそが、真の原因であるという。そして第3章ではその真の原因を八つに分類している。私が感銘を受けたのは、この八つの分類ではなく(この分類はよく考えられていて素晴らしい)、真の原因を突き止めるまでの思考過程である。感情を表現するまでには様々なバイアスがかかる。例を本書より引用すると、「ガリ勉だから嫌い」はガリ勉というマイナスなワードを無理やり「嫌い」の原因とすることで自分を正当化している。そしてそれは楽である。自己正当化のためのバイアスを自覚し、感情をこの深さまで分析する著者の能力に感服である。
(791文字)

追加記事 -note-

参考動画 -YouTube-

書評
語り:にしむらもとい
知的でありたいとひとが願うとき、初めに頭によぎるのが哲学。でも、ひとはいつしかそれを忘れ、生きる「方法」に没頭していきます。何が正しいかなんてわかりませんが、こんな世界もあるというご紹介です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

ジェイラボ
基礎教養部

コメント

コメントする

目次